~The belief in what is genuine will surely transcend time.
初めての個展を終えて、達成感と、そして次に向かう静かな想いが胸に宿る──そんな期間を過ごしていました。
ふと感じたこの感覚。それは、かつて資生堂クリエイティブで多くのプロジェクトを成し遂げたあとに抱いた
「さあ、次は何を創ろうか」という、あの胸の高鳴りにもよく似ています。
だから今、改めて書きたくなりました。
「資生堂クリエイティブで学ぶこと」第3回を。
・夕暮れの銀座
銀座が育てた、クリエイティブな日々
私は、資生堂で過ごした35年間、就業地はずっと銀座でした。(本社リノベーションの間だけ汐留)
銀座という街は、特別な場所でした。美意識と感性が交錯し、常に時代をリードするような空気が流れていました。
時代は、バブルの真っただ中。その恩恵を特別に意識していたわけではありませんが、とにかく、毎日が楽しくて仕方がなかった。
土曜日も、日曜日も、自然と会社に足が向いた。
好きな仕事に没頭し、たまに車で銀座へ向かう道のりさえ、ちょっとした冒険のように感じていました。
デスクに向かって作業に煮詰まると、上司がふらりと声をかけてきました。
「銀ブラでもしてこい」「映画や美術館に行ってきなさい」それも、立派な「仕事」の一部だったのです。
SNSも無い時代に映画館で最先端の映像に触れ、美術館で感性を磨き、
本屋や洋書店では世界中の雑誌を手に取り、世界を広げる。部の書庫には、びっしりと資料、書籍が並び、ページをめくるだけで心が踊りました。
市場視察という名目で、青山や六本木多くのところへも足を伸ばしました。
街の空気を吸い込み、新しい「何か」を感じ取り、拾い上げる。
そして、夕方には会社に戻り、また制作に没頭する。疲れも感じないほど、仕事に夢中だったあの頃。
これは趣味が仕事のようでした。
並木通り
受け継がれる、静かな誇り
夜になると、銀座の街へ繰り出した。
社内外の仲間たちと食事をし、語り合い、ときには未来を熱く語り合う夜もあった。
当時は、飲みの場も仕事の延長のようなものだった。
若手の私たちは、上司や先輩たちに連れられ、社会人としてのマナーや節度を、自然と学んでいった。
──思い出すのは、ある夜のことだ。 仲間たちと飲んでいたところに、ふらりと上司が顔を出した。
軽く言葉を交わして、しばらくすると、上司は静かに席を立たれた。
やがて僕たちもお開きとなり、会計をしようとしたとき、店の方がそっと教えてくれた。
「お会計は、◯◯さんがすでにお済ませになっていますよ。」
──そのとき胸に広がった、さりげなく、押しつけることもなく、ただ静かに、その背中は、何よりも粋で、かっこよかったのだ。
だから今でもふと思うのだ。「自分は、あのときの上司のように、ちゃんと粋か?」そう自問しながら、日々を歩いている。
──気がつけば、そんな私たちもいつしか後輩たちに、同じように接していた。
自然に、何気なく、でも確かに、あの「伝統」は受け継がれていた。
そして今思えば、それは単なる習慣ではなく、「社会人としての節度、そして、プリンシプル(信念)を磨く場」だったのだと思うのだ。
花椿
本物を信じる心だけは、きっと時代を超えていく。
銀座という、日本で最もオシャレ感度の高い街で、濃密な時間を過ごせたことは、何にも代えがたい財産だった。
「私たちはオシャレを創る会社です。だから皆さん、どうぞオシャレをしてきてください。」
日本の企業で最初に服装を自由化したときに、社長が社員にそう語ったことも、今でも鮮明に覚えている。
また、役員会議で甘い提案をした先輩に対して、社長が返した静かな一言──
「そんなことをやっていたら、普通の会社になってしまいますよ。」
その言葉に込められていた、誇りと覚悟。
時を刻む
資生堂クリエイティブで学んだのは、単なるデザイン技術ではない。
社会人としての節度、クリエイターとしての矜持、そして、本物と偽物を見分ける確かな眼だった。
私たちは、「美しいもの」を生み出し、人々に届ける仕事をしていた。
だからこそ、“本物だけを信じ、本物だけを創り続ける”
時代は変わり、働き方も価値観も大きく変わった。
それでも、人を想う心や、マナー「美しく」何かを本気で創ろうとする姿勢は、きっとこれからも変わらない。
そんな小さな文化の灯を、これからも静かに胸に灯しながら、また新しいものを創り続けていきたいと思う。
The belief in what is genuine will surely transcend time.
資生の庭